2014年4月24日木曜日

ヒッチハイクしてみた (4日&5日)

四日目














工事中・・・・・・





五日目





早朝5時にマンガ喫茶を出てコンビニで軽い朝食を買い、
駅裏の岡山城の公園で城を眺めながらサンドイッチと牛乳片手に
今日のプランを考え、四日目は観光にあてることにした。
旅の行程は順調すぎるくらい早く進んだからだ。



福山駅から移動して、備後正じょう駅に移動。そこから川を越えて福山SAに










↑普通に牛がいた





 



SA内で定食を食べる(お金に余裕があった)とすぐにヒッチハイクを始めた。 


三連休明けで車数は少なく、また朝の出勤中の車が多く、
つまり、得たいの知れない旅人を乗せてくれる余裕のある車は皆無であった。

一時間ほどヒッチハイクをしたところで、SA敷地内のドッグランで犬を遊ばせている(暇そうな)おじさんに試しに話しかけてみた。おじさんはちょくちょく私の姿を気にかけているそぶりを見せていたからだ。そういう好奇心に漬け込ませていただこと思った。



おじさんに話しかけてみると、おじさんは近づいてくる。
近くで見るとおじさんはお兄さんだった。
私は驚いた、何故ならば容貌が異常にホモ臭かったからだ。

肌は異様にキレイで、目は異様に穏やかな二重瞼。唇は紅をさしたようにキレイなピンク色、そして何より私との距離が近い。息がかかるくらい近いのである。また、私と話しているとお母さんらしきおばさんがやってきた。平日の午前中に母親とSAに来ているお兄さんって、いったい何者なんだ???


そんなお兄さんの圧力に、私は負けじとヒッチハイクを頼んでみた。
ホモかもしれない(?)お兄さんは、快く岡山方面までの道のりを約束してくれた。
しかし、 家で着替えてくるから20分ほど待っててほしい、という。

私一人、SA外の駐車場で待つ。
私は海老名SAで知り合ったヒッチハイクの先輩の言葉が頭をよぎっていた。






安田さん(私たちを乗せてくれた方) 「(アメリカ一周ヒッチハイク旅行をしていて)なにか危険な目にあったこと、ありますか?」
山田さん(ヒッチハイクの先輩) 「ありますよ。ホモっぽい人に乗せてもらったとき、妙にボディタッチが多くて・・・・まあ、きちんと送ってくれたし、すごく親切な方だったけど、ただ身の危険を感じて(笑)」





私は、それだ。


一度は必ず起こると言われているヒッチハイク中でのトラブルが今発生しようとしている。
でも、彼は快く承諾してくれたんだし…、逃げたところで何処で車を見つけるというんだ、とあれこれ考えていると、車がやってきた。お兄さんは、着古したジャンパーを適当に羽織った姿から、黒のTシャツにデニムの男らしい服装に着替えていた。 

その服装を見て、私はほっと胸をなでおろした。

私はそのお兄さんといろんな話をして、過ごした。
お兄さんの名は矢野さんという。矢野さんは、瓦葺職人でたまたま1日暇だったらしい。

最近はボーリングに通いづめらしく、プロ試験突破を目指して、日夜勉強をしているのだという。車内でいろんなボーリングの話をしてくれた。



































ボーリングのプロの稼ぎは少なく、ボーリングで食っていくには心もとない賞金である。
また、大会の交通費は自分持ちで出場費用も馬鹿にならない。
海外の大会となれば、マイボールを板目の状態によって複数もってこないといけないので、空輸費用もかかる。
プロで食っていくには、大会でのゲスト参加やボーリング教室を掛け持ちしなくてはならず、また近年のボーリングの人気の低下により全国的にボーリング場の数は減少。有名なプロボウラーの方も講習をするために、2県~4県を受け持つのが一般的だという。


そんな話を聞いていると、鳥取行きのICを通り越して、岡山市街に到着してしまった。
お兄さんはしょうがないから、岡山の後楽園に行こうと提案してくれた。





そのころには私のお兄さんのホモ疑念はとけていた。
お兄さんは広島のいろんな話をしてくれた。
私が広島に来て一番に驚いたのは、気候の穏やかさと人々の元気の良さである。男女ともに皆元気がある。

広島はヤンキーと目があったら「何ガンくれとんじゃ?」「してねえわ、ボケカス。お前らなんか見てねえわ、あん?ダラァ」「おお?喧嘩もせんのかい」と言うと「ああ?○○高じゃい、いつでも相手してやらあ」「あ?(ry

といった感じで、会話が始まるのだという。

しかし、そんな広島のヤンキーも岡山の悪童には負けると言っていた。「岡山は卑怯じゃけん」と言っていた。岡山と広島はとにかく仲が悪い。





散策がすむと、また車に乗ってでかけた。途中の吉備SAで昼飯をおごってもらった。そこで食べた親子丼が理想的な卵のトロトロ具合でクソ美味かった。私ががっついて食べてるのを見て、お兄さんはうれしそうにしていた。
お兄さんは高梁PAまで送ってくれた。 このブログ上にて謝っておこう。あのときホモだと疑って非常に申し訳ない。


そして、備中の高梁SAまで送ってもらった。まさかこんなところまで送ってもらえるとは…













岡山自動車道唯一のSA、岡山唯一の有人休憩施設をもつ高梁SAでヒッチハイクをする。天気が悪く、標高380Mに位置するため山風が非常に冷たい。

車通りは多いが、誰も乗せてくれない。仕方なく、直接訴えかけることにした。
車の窓ガラス越しに10台ほど頼んだ。





―すると、かなり若作りのおばちゃんこと、○○さんが承諾してくれた。○○さんは水木しげるの故郷や水木ロードで知られる、島根県境港の生まれで、今日はそこで実家の仕事を手伝うつもりだという。

↑標高が高いので、3月末になっても雪が残っている!



○○さんは化粧品の代理店をやっているのだという。口数の多い方ではなかったが、ヒッチハイクでむりやり乗り込んできた私にやさしく接してくれた。ぽつりぽつりと口数が増え、中学時代の思い出や島根県と鳥取県について話してくれたりした。









米子駅でおろしてもらうことにした。○○さんと別れると、すっかり日が暮れていた。米子駅は一面水木しげるの世界一色だった。鬼太郎ホテル、目玉おやじ電車、イラストは最近の水木絵で描きおろしのものっぽくて、けっこう感動した。
 ↑ 米子駅はねずみ男の駅らしい


↑ 空港にも名前がついてる


そうして、今日の宿は米子駅から一本電車に乗ったところにある米子の自遊空間で身を休めた。









 (次回、今回の旅の目的地 鳥取砂丘に到着)





















2014年4月9日水曜日

ヒッチハイクしてみた(2日目&3日目)


2日目



午前朝5時に起きて、漫画喫茶で会計を済ませ、川崎駅から5分のところからスタート。
ちょいと移動して国道沿いのローソンまで移動、この辺りで午前7時ぐらい。

ヒッチハイクが捕まらない。1時間やって、人の目が気になるので、方針を変えて停車している車にむかって、直談判を申し込んで乗せてもらおうとする。

たまに怖い人もいたが、基本的に良い人で、残念ながら無理だといわれることが多かった。30台ぐらいに話しかけて40分位やっていると、困惑気味だったが海老名SAまで乗せていってくれる方がいた。

村上春樹みたいなおじさんの名は二階堂さんという。二階堂さんは、週末にドライブに行くのが趣味で不動産の営業マンをやっているらしい、ドライブが趣味なだけにカッコイイ車に乗っていて、言葉少ない人だったが、車を褒めると嬉しそうに、はにかむような人だった。




微妙に寝足りなかったのか、少し眠ってしまい起きたら海老名SAだった。二階堂さんと別れ、海老名SAを探索すると、そこは立派な商業施設だった。



https://ja.foursquare.com/v/%E6%B5%B7%E8%80%81%E5%90%8Dsa-%E4%B8%8B%E3%82%8A/4b7fe6f5f964a5206b4330e3



利用者数は上下線合わせて1日平均約6万人と全国で最も多く、休日の渋滞する時間帯などには駐車場がしばしば満車になるという(wikipediaより)ということで、郊外のイオンモール並に立派な駐車場だった。ここならヒッチハイクも楽勝だ、とSA構内のドーナッツ屋でドーナッツを食べて、ヒッチハイクしやすい場所を探していると、私と同じようなヒッチハイクをしているお兄さんがいた。軽く挨拶を交わし、彼の近くでヒッチハイクをしていると手招きするので、どうやらバラバラでヒッチハイクをしているより、効率よく一緒にやらないかというので、二人でヒッチハイクをすることにした。

お兄さんの名は山田さんという。自営業で農家を営んでおり、奥さんの家に挨拶に神奈川を訪れ、その帰りに愛知県の我が家に変える途中だったらしい。時間に余裕が有るため、遠出するたびに色んな人と出会いを求めて、こうしてヒッチハイクをして帰るのだと言う。

誰かと一緒にヒッチハイクをするのは、10年のヒッチハイク歴のなかで始めてのことだと喜んでいた。私もその道の先輩とやれるのなら、心強いと一緒にヒッチハイクをすることにした。幸い、10分もしない位で乗せてくれる車が現れた。

乗せてくれた方はカップルで就職が決まって、学生の最後の思い出に旅行にでている、安田さんという方だった。私は見知らぬ人といきなりお喋りをするのは苦手で、山田さんが挨拶や会話を請け負ってくれて非常に助かった。



思えば、ヒッチハイクではこちらが不審な人物でないことを説明するために、生い立ちやヒッチハイクの動機、目的地などの話をぺらぺらと話さなければならず、相手の話を聞き、彼らに合わせていくのは旅中で結構骨が折れる作業なので、その点で二人でヒッチハイクをするというのはまさに正解だった。一人がしゃべっている間、もう一人は外の風景を眺めながら会話を組み立てることができるのだから。


ヒッチハイクは一人より、二人のほうが良いなと風景を眺めながら、そんなことを考えていた。








 安田さんと別れ、富士山がみえるSAでヒッチハイクをするも、次も簡単に車がつかまった。高速道路でヒッチハイクはほんと、すぐに車が捕まる(これを読んで始めるような方がもしもおられたら、SAかPA、IC前でヒッチハイクを始めることをおすすめします)

名は加藤さんといい、舞台芸術を請け負う仕事を営んでおり、音楽のライブの背景やお笑い芸人、劇団の大道具や舞台を作ったりするのだという。達磨和尚のような、大学生の孫がいてもおかしくない、おじさんだったが、車内で流れる音楽がすごく若くてびっくりした。50近いようなおじさんがKravaやチャットモンチー、加藤ミリヤとかを聴いているのだから。やはり芸術系の職に就いていると、趣味も常に新しいものになっていくのだろうか。

加藤さんとは音楽談義や最近の芸能人の話ですごい盛り上がった。私はやはりそういう方面の話をするのが一番好きだ。そんなふうに話していると、あっという間に時間が過ぎた。


 富士山がとても綺麗にみえるので、山田さんがせっかくだからと撮ってくれた。
 山田さんは車のなかでいろんな話をしてくれた。彼は農業で自給自足を行っており、農業の団体をやっているという。それは「イモタン」といい、村のような集落で共生をしているらしい。

若いころに20ドルで、アメリカを一周したという話もしていた。

お金がなくなると、港や飲食店で働き、そのお金を手にバスに乗ったりして、無事に旅をしたという。泥棒に金をとられ、安宿にも泊まぬようなこともあり、恐ろしい南部の白人に誘拐されそうになり、恐ろしくて、ビルとビルの隙間に身体を沿わせるように寝たこともあったという。そんな話をからからと話しているので、思ったより人間はテキトーに生きていくことは出来るのだな、と思った。山田さんは非常に変わった人だった。今の生活をやっていくなかでも、最初は大変だったらしい。初志が良ければ、幸せに生きていけるようだ。

そんな山田さんのブログはこちら→ 「イモタン雑記」  http://imozawa.jugem.jp/ 

愛知で山田さんと別れ、私はまた一人ヒッチハイクをすることになった。幸い、すぐにまた捕まった。今度は大阪で建設デザイン事務所を構える木村さんという方だった。真っ黒に日焼けした肌に、白いシャツを着て、長い髪をうしろ髪にお団子のようにまとめている姿は、ネイティブインディアンのようだった。赤ん坊と奥さんを連れて、家族旅行の帰りだという。建築の今と昔や、芸術館談義に盛り上がり、やはり金沢の21世紀美術館はすごい面白い美術館だという話やその建築ユニットの一人がソロでつくった、瀬戸内にある手島美術館の素晴らしさを教えてもらったりした。彼らとも、あっという間に時間が過ぎた。今日は色んな方に出会い、非常に濃厚な時間を過ごせたと、辛い東京でのヒッチハイクで諦めなかった自分を褒めるような思いが頭をかすめた。

 琵琶湖SA構内






遅くなったので、滋賀県の琵琶湖沿いで今日を終えることにした。琵琶湖の快活クラブという漫画喫茶で泊まるために、SAをでて夜の滋賀の道を歩いた。











 3日目
















ぐっすり眠ったせいか、店員さんに起こされ微妙に超過料金を支払う羽目になった。仕方ない。

今日は2日分の垢を落とすべく、銭湯を探すことにした。





 琵琶湖沿いは路面電車が走っている。




 海のように大きな琵琶湖
風呂に浸かり、電車移動で大津SAに向かう。電車移動で県境を超えるw
大津から京都まで240円、大阪なら970円。安すぎる。
 そういえば、『ちはやふる』の舞台で、さらに競技かるたの本部がここだったはず。



 大津SAまで徒歩で移動。




 戻ってきた。

10分くらい天気の良すぎる、SAでヒッチハイクに立っていると声をかけてくれたのは佐藤さん夫婦だった。兵庫に住んでおり、震災のとき直撃し家が倒壊、相当な衝撃だったと当時を振り返ってそう言っていた。特に余震のとき、縦揺れがひどく、地面から体が浮くほどだったという。

兵庫付近のSAでおろしていただき、ヒッチハイクをしていると次は片沼さん夫妻だった。若くして、結婚しており、岡山県でサラリーマンをしているという。サラリーマンとして、仕事観についていろいろな話をしていただけた。学生時代に私がしているような長期旅行をやっておけばよかった、と羨ましがっていた。










岡山に到着。そこではB級グルメで名高い(?)ホルモンうどんを食べた。思ったより、刺激的なスパイシーな味で美味しかった。








斜視気味の桃太郎像

 こちらは桜が少し咲いている




 そこでヒッチハイクをしていると、明るい若いお兄さんに声をかけられ「大丈夫かわからんけど、交渉次第ですね~」と口ごもるようにいうので友達とたくさんで旅行しているのかと聞くと、「いや~そういうわけじゃないんですけどねえ~」というので、何だろうと彼らにアヒルの赤ん坊のようについていくと、一台のバスが停まっており、「長距離バスじゃないのか」と言うと「お金はいらない」と運転手さんが言う。

皆、こちらを見てニヤニヤしている。乗り込むと酒と煙草の匂いが充満し、中には出来上がったオジサンたちが真っ赤な顔で出迎えてくれた。奥に座らされ、軽い自己紹介を終わらせると、ビールで乾杯し、私のもとにビールの缶が回ってきて、すぐに乾杯。空きっ腹に酒だから酒が回る回る。


気を良くしてカラオケを歌ったり、おみやげのゆで玉子や魚肉ソーセージを食べ、色んな質問に答え
つつ、オジサンたちの日頃の鬱憤を爆発させている最中の喧騒の中心で、私はただ苦笑しするばかりだった。 仕事の集団との3連休の観光旅行の帰りのバスだという。1日目の午前中からこんなかんじで、バスでゲロはいたり、踊ったりして、飲めや騒げどの殺人的な雰囲気だったのだという。運転手に酒を飲ませなかったのが奇跡だろう。仕事は何をしているのか聞いても、頑なに教えてくれず、やっとのこと聞き出したら、なるほどと納得するような堅いお仕事の方たちだった。

ただ、孫もいるような年齢の人が裸踊りや下ネタ連発したりとオジサンのパワーの凄さを垣間見た瞬間だった。さっき車に誘ってくれたお兄さんも僕と同じく、席に座って苦笑いをしていた。

カメラを持っているので写真を撮ろうとすると、真っ赤に酔っ払ったおじさんにカメラを持っていかれ、こんな写真がメモリーに刻まれていた↓








 途中に別れるオジサンの車に乗って、私の本来の進路方向と違う(今回の目的地は鳥取砂丘)広島県福山市に連れて行かれることになった。福山市というと広島県の東の大きな市である。perfumeのあーちゃんの故郷である。後に知ることになるのだが、広島県の女の子はとにかく快活でperfumeみたいにワイワイと賑やかな健康的な女の子が多かった。良い所だ。

 福山駅近くの自遊空間にて一泊、酒が回って上機嫌で眠りについた。




3日間で神奈川から広島まで移動できたので、4日目は観光にまわすことになった。


私は中国地方にいったことがなかったので、知見を広めるべく、明日は観光!